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夢へのバトン#3(前半)「海外の工場に勤務して~科学技術を通じた、言葉・文化を超えたつながり~」

「夢へのバトン」シリーズ
技術者から、未来のメイカーへのメッセージをお届けするシリーズです。技術者の日常や情熱、思いを味わってください。

2020.08.13.
朝日 格 (元アルミニウム製造メーカー勤務)

小さな時から乗り物大好きでした。中学の頃、夢の超特急「ひかり」が登場しました。最初の車両はまだ重い鉄製でオールアルミの新幹線が走り出すのは、大人になって、企業技術者になってからでした。勤めていたアルミ会社が製造したアルミが使われ、ワクワクしました。
20代は工場の現場でアルミの板を作る機械を担当し、品質向上・能力向上に取り組み、30代前半でアメリカ、30代後半でブラジル、40代前半で韓国に駐在しました。
言葉・文化は違ってもアルミの板を作る技術は世界共通です。会社で、日夜一生懸命に学んだことを世界中の人たちに伝え、各国の人たちに喜んでもらえることがうれしい日々でした。

万国博が今から5年後に大阪にやってくる!!

前回の大阪万博は今から50年前の1970年ですが、大阪ではその前1950年代から、港で大阪国際見本市が一年ごとに開かれていました。世界各国から集まった人たちがお国の紹介と日本に買ってほしいものを展示しミニ万博のようでした。

商社に勤めていた父に連れられ兄弟で何度も行き、世の中にはいろんな国があるな、一度行ってみたいなと子供心に海外への関心が高まりました。

オーストリア館でもらったアルミの原料ボーキサイトを長い間持っていましたが、将来アルミの会社に勤めるとは夢にも思わない時代でした。

ボーキサイト

ボーキサイトからアルミナ(酸化アルミニウム)を抽出します。
約4トンのボーキサイトから約2トンのアルミナの白い粉末が得られます。

ボーキサイト(※)

アルミニウム

約2トンのアルミナを電気分解して、1トンのアルミニウムが出来ます。
アルミニウム製品に必要な性能を出すため他の金属元素が添加されます。

アルミニウム(※)

(※)画像は、いずれも(一社)日本アルミニウム協会からご提供いただきました。

乗り物好きから広がった、アルミニウムへの道

小さな時から乗り物大好きで、自宅に鉄道ジオラマを作り乗った電車・乗りたかった電車に囲まれている時間を楽しんでいます。中学に入ると夢の超特急が走り出し、名前の公募があったときは『特急こだまは音だから、音より早いひかりだ!』と考えていました。最初の車両はまだ重い鉄製でオールアルミの新幹線が走り出すのは会社に入ってからで、勤めたアルミ会社が製造したアルミが使われた話を聞いてワクワクしました。そのような少年時代を過ごし高校に入り将来どのような道に進もうか考えだしました。たまたま家の本棚にあった物理学者中谷宇吉郎が書いた『雪』という本を手にしたとき『結晶ってなんてきれいだろう!面白そうだな!』と思い、『南極観測隊もいいかな!』と考えましたが、進学先・就職先が限られていたので断念し、『金属も結晶構造』と気づき工学部金属系学科に進みました。研究室では毎日夜遅くまで電子顕微鏡でアルミの結晶構造を観察して、1975年には学校を出てアルミニウムの会社に入りました。

オールアルミの700系(前方)と夢の超特急0系(後方)
残雪の伊吹山を背景に1999年春ごろの関ケ原での出会いです。
鉄道模型で「夢の情景」「思い出の情景」を再現しています。

技術は、言葉も国境も越える

最初は研究所の配属予定だったのですが、実習途中で見たアルミの板を作る工場で大きな機械でアルミの塊がどんどん薄くなり板ができる工程を見て、『アルミの板を作る工場は面白そうだな』と思い希望した配属先でした。アルミの用途が家庭で使うアルミ箔・アルミの鍋から、アルミ缶・鉄道車両・自動車部品に広がっていた時代です。20代は工場の現場でアルミの板を作る機械を担当し、品質向上・能力向上に取り組み、30代前半でアメリカ、30代後半でブラジル、40代前半で韓国に駐在しました。言葉・文化は違ってもアルミの板を作る技術は世界共通なので会社に入り日夜一生懸命に学んだことを世界中の人たちに伝え、各国の人たちに喜んでもらえることがうれしい日々でした。

海外で働いて感じた情報通信技術の重要性

このように海外で仕事をするにあたって、日本との情報交換が必要になります。いまの若い人たちには生まれた時から遠く離れた海外とネット・SNSでやり取りすることが当たり前ですが、当時は情報通信の技術がまだまだ未発達の時期でちょうど私が海外に駐在していた時期に大きく発展しました。ここでは、その時のことを振り返ってみます。

アメリカと日本(1980年代前半)

最初のアメリカではイギリスとやっとダイヤル直通が出来たばっかりでした。もちろん、日本とアメリカとの直通電話などありません。

日本とは電話局に『Please connect JAPAN81-3-XXXX-XXXX(日本の電話番号、81-3-XXXX-XXXXに繋いでください。)』と頼むとすぐに日本に通じ会話が出来ました。

FAXはまだなく、TELEXという今ではほとんど使われない通信手段も使っていました。

その町では英語が話せない子供たちには町が無料で家庭教師をつけてくれたおおらかな時代のアメリカが残っていた1980年代前半のことでした。

ブラジルと日本(1980年代後半)

1980年代後半、次のブラジルでは、電話局に『Please connect JAPAN81-3-XXXX-XXXX』と申し込んでも早くても一時間は待ち時間があり、ようやくFAXが始まった時代です。

ちょうど時差が12時間でしたので、夕方日本に問い合わせたことが、翌朝回答が来てブラジルの人たちからは『日本は夜も働くすばらしい!!』とMoon Light Projectとの名前をもらいました。ブラジルは毎年1000倍のインフレでしたが、資源が豊かで将来大きく成長すると感じる時代でした。

韓国と日本(1990年代)

その次の韓国では、電話はダイヤル直通になり、FAXが日常的になり、ようやくインターネットが始まっていました。1988年のソウルオリンピックの後、お互いの関心が高まり日本と韓国でワールドカップが開催される前の1990年代のことでした。

アメリカ・ブラジル・韓国の工場とはその後会社の資本構成も変わり現在関係のない会社になりましたが、それぞれの工場が各国の主要なアルミ板を作る工場に成長し、世界中の人たちに必要な製品をつくるアルミ板を供給していると思うと誇らしくなります。

科学技術が、国境を越えて技術をつなぎ、人を繋ぐ

学校で科学技術の基礎を学び、研究部門で新しい製品を生み出す人たち、生産部門で新しい製品を作り出す人たちなどいろいろの進路がありますが、いつの時代でも言葉・文化を超えたつながりが科学技術を通じて出来ていきます。私が経験したように、このような時にお互いの考えていることを伝え悩みを共有し喜びを分かち合える仲間が世界中にできます。

 

アメリカの友人が描いてくれた似顔絵 Before & After

アメリカ時代の現地の送別会で”TAD STORY”として紹介してもらった紙芝居から3枚。工場の友人が描いてくれました。

日本からアメリカに着任してきた時の私(BEFORE)

アメリカから日本へ帰る(離任)時の私(AFTER)

TAD´S SECRET MISSION??

アメリカ人は冗談が大好きです。

 

 

朝日 格氏。
元アルミニウム製造メーカー勤務。

1975年アルミニウム製造メーカーに入社し、国内外の製造部門を経て、営業部門、事業部長、常勤監査役。
退任後、船会社に移り2020年7月まで常勤監査役を務めた。

幼き時より電車が大好きで、長年鉄道を趣味としている。
船会社にても乗船・操舵訓練を受け、弟から『男の子の夢を実現しているね。』と言われている。

写真は2019年5月 新造船の命名式に出席したとき

#夢へのバトン

参考になるサイトのご紹介

 

Maker’s Clubです。

今回の技術者の朝日さんのお話に登場した「アルミニウム」。

模型工作でよく使う「アルミ板」ですが、アルミニウム材料って?と聞かれると知らないことも多いのではないでしょうか。

そんなみなさんに、楽しくて参考になるサイトを紹介します。

工作に使う金属がアルミだとホッとしますよね。柔らかくて加工しやすいもの♪

 

一般社団法人 日本アルミニウム協会

この記事に掲載している「ボーキサイト」と「アルミニウム地金」の写真は、「日本アルミニウム協会」からご提供いただきました。

アルミニウムをもっと知りたくなったら

アルミニウムの製造工程をもっと詳しく知りたい人は、
(一社)日本アルミニウム協会 「アルミ!なるほどミュージアム」を読んでみてください。

このサイトは、電子ブック形式で、たくさんの写真を使って説明されていますので、小中学生も楽しく読めます。

朝日さんの記事に掲載されていた写真「ボーキサイト」や「アルミニウム地金」の説明もあります。

アルミニウムと鉄道車両

アルミニウムと鉄道車両について、分かりやすく書かれています。

鉄道車両の写真がたくさん載っているので、楽しいですよ。

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