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夢へのバトン#9「ちこちゃんに叱られる」

「夢へのバトン」シリーズ
技術者から、未来のメイカーへのメッセージをお届けするシリーズです。技術者の日常や情熱、思いを味わってください。

2020.10.
西前 年 (にしまえ ねん)(元 鉄鋼メーカ技術者)

高速道に乗って4~5分走ったころ、携帯電話が鳴りました。“悪い予感”、案の定「電気炉の底が抜けた」との連絡です。
工場の周りには、大きくて立派な消防車が5~6台とパトカーが数台止まっていました。あまりにも激しい爆発(水蒸気爆発)で、近隣の工場から119番通報があったそうです。工場内は爆発で吹き飛んだメタルとスラグが散乱し、建屋の梁から落ちたダストと流れ出る冷却水が混じって泥の海となっていました。
大きな事故でしたが、現場の人たちの迅速で適切な判断で、けが人は出ませんでした。職場安全会議における私の返答は、現場の判断を妨げることはなく、迅速に避難する一助になったと思います。

チコちゃんに叱られる

はじめに/寄稿に至りました経緯

友人から、“技術者の日常”というテーマで何か書いて欲しい、ということだったか、何だったかをよく理解しないままに依頼をいただき、“さてどうしたものか”と考えていたその晩、今度は確認の電話がありました。

まだ夕方6時を少し回ったところでしたが、すでにお酒をたらふく飲んでいい気分になっていて「前向きに検討します」などと答えてしまっていたのです。

“自分に人に語るような業績があるのだろうか?ましてや、これからの将来をになう子供たちに言うべきことがあるだろうか?”と布団に入ると自問します。思い当たることはないままに何日か過ぎました。そうです、失敗はあります。思い出すとあまりの恥ずかしさに眠れなくなるような失敗はいくつも。でも大丈夫、引退した爺さんですが毎晩お酒を飲んでいます。ふとんに入るとすぐにいびきをかいて、寝ています。

失敗を書くしかない、“元技術者の日常・夢のないバトン”になってしまうかもしれませんが、そういうお話も、ひょっとしたらためになるかもしれない。

これが、原稿を引き受けました経緯でした。

焼却灰リサイクル事業

三相交流の電気炉

初めに勤務した事業所には合金鉄(鉄とニッケル、クロム、マンガンなどとの混合物でステンレス鋼などの原料として使われる)部門がありました。合金鉄は、原料の鉱石(酸化物)を予備処理して、図1にしめすような電気炉(耐火物で内張された大きな器の上部から3本の電極を介して交流電力を供給する炉)で溶融還元(鉱石を溶かし金属分を回収する)して製造されます。

図1 電気炉(交流3電極)のイメージ

鉱石は有用な金属成分の他に大量の土砂を含みます。これらを電気炉で溶解する方法がサブマージドアーク炉法です。電極の先が溶けた土砂(スラグ)の層に浸かっているのでこのように呼ばれます。この溶融方法は電力を多量に消費するために国内では衰退していきますが、電気で土砂を溶かすという技術に着目し、新規事業に活用しようしたものが、焼却灰リサイクル事業です。焼却灰の成分は、石や土砂の成分に近いのです。

可燃ごみを埋め立てる土地はあと3年分しかない?!

事業所や家庭から出た可燃性のごみは、昔は埋め立てられていましたが、現在では、衛生面と減容化のために焼却されます。それでも燃えた残りが元の体積の10%程度発生します。この焼却残渣(燃え残り)は焼却灰と呼ばれ、最終処分場に埋め立て処理されます。

20年ほど前のことですが、最終処分場の容量が切迫しており、埋め立て処理をしなければならない量の3年分しかないと言われていました。このような状況の中、焼却灰の処理に着目した数社と共同研究をしてきた合金鉄の事業所が、焼却灰を溶融・無害化処理(ダイオキシン対策など)して、発生したスラグ(土砂や溶岩のようなもの)や金属分を再利用する環境事業を始めるということになり、その技術担当に採用されました。

直流式の電気炉の説明

図2に、設備の中核となる溶融炉をしめします。この溶融炉は直流式の電気炉で、炉上に可動式の電極が1本、炉底に固定式の電極が1か所取り付けてありました。炉底電極は炉体に差し込んだ途中まで水冷してありました。はじめは“こんなところに水を通して大丈夫だろうか”と強い違和感をもったものでしたが、仕事をしているうちに、それが当たり前と感じるようになりました。

電気炉の操業について簡単に説明します。図2を見ながら読んでみて下さい。炉上と炉底電極間に電気を流し発生する抵抗熱で炉の上部から投入される焼却灰を溶かします。溶けた焼却灰は炉の中に溜まっていきます。鉄を主成分とする溶けた金属は、石や岩の成分に近い溶けたスラグより重い(比重が大きい)ので、炉内の下のほうに、溶けたスラグはその上に溜まっていきます。電気炉には、炉体の横に高さの違う取り出し口を設けてあり、定期的に取り出し口に穴をあけて、上のほうの取り出し口からは溶けたスラグを、下からは溶けた金属を取り出します。

図2 直流式電気炉の概略

電気炉の底抜け事故

電気炉の抵抗値に変動あり。

3年ほどして工場の責任者になりました。それから2か月ほどした、3月末の日曜日の朝、工場は稼働(24時間10~14日間の連続操業、3交代制)していましたので、夜の番(3直)から昼の番(1直)への引継ぎミーティングへ出ました。その引継ぎミーティングで、3直の班長から

「溶解電流の抵抗値に変動があった、何かおかしい」

旨の報告がありました。

操業を停止するべきか迷いましたが1直のベテラン班長から

「なぁに大丈夫だ、そんなことは何度も経験している」

との発言もあり、
私はあまり深く考えもしないままにその意見に乗りました。

全くの判断ミスです。外は快晴でした。工場に来ていたものの、気持ちは雪山に飛んでいたのです。

事故発生。けが人なし。

高速道に乗って4~5分走ったころ、携帯電話が鳴りました。“悪い予感”、案の定

「電気炉の底が抜けた」

との連絡です。

炉底電極部が解けて炉内の溶融物が流れ出たということとすぐわかりました。連絡の状況から、けが人は出ていないであろうことも見当が付きました。

次のインターチェンジで取って返しました。工場に戻る途中で気持ちは固まりました。

“自分の判断ミスだ、責任は自分にある、自分に口先で対処できる能力はない、正直にいくしかない”

と。

工場の周りには、大きくて立派な消防車が5~6台とパトカーが数台止まっていました。あまりにも激しい爆発(電気炉の炉底電極を伝って流れ出た千数百度Cの溶融金属と溶融スラグが電極の冷却水と接触し、水が急激に気化・膨張することで発生する爆発;水蒸気爆発)で、近隣の工場から119番通報があったそうです。工場内は爆発で吹き飛んだメタルとスラグが散乱し、建屋の梁から落ちたダスト(大量にちり積もったほこり)と流れ出る冷却水が混じって泥の海となっており、惨憺たるありさまでした。

ただ、けが人が出なかったのが救いでした。

安全についてのシンプルな質問

人命はすべてに優先する

私が工場の責任者になってひと月ほどたった最初の職場安全会議の時に、現場従業員の一人から

「電気炉から湯漏れしたら、どうすればいいですか?」という質問がありました。

湯漏れとは、所定の場所以外のところから溶融物が流れ出てくることです。少し考えました。工場の操業のことを問うているのか、そういう事故処理に対してのことを問うているのか。質問者は、極めて重要なことを真剣に聞いていると思ったので、明確にかつシンプルに答えました。

「避難してください。設備は取り返しがつきますが、人は取り返しがつかないから」と。

大きな事故でしたが、現場の人たちの迅速で適切な判断で、けが人は出ませんでした。職場安全会議における私の返答は、現場の判断を妨げることはなく、迅速に避難する一助になったと思います。

記者会見と復旧作業

その日の夕方、事故に関して記者会見の席が設けられました。これが私の人生におけるたった一度の記者会見です。現場の責任者として私が、ほかに取締役が出席しました。記者達の質問には正直に答えたつもりです。

幸いにもけが人がなかったので、事故のあと始末から復旧(この中には事故の対策も含みます)は順調に進みました。

小さな現場だったので、管理職は私一人でした。社内の会議、警察の事情聴取、県への報告などもあって、めちゃくちゃ忙しかったけれど、“膿は出た、膿は出た”と自分に言い聞かせて仕事に取り組みました。また、対策に自分の考えを反映できるので、やりがいもありました。私の考え/対応策を理解してくれて、事故のあと現場は協力的でした。復旧は順調に進み、事業を再びスタートすることができました。

どんな事故だったのか?

事故後の電気炉内の状況を、図3に示します。

炉底電極の上部がごっそりなくなっています。原因は次のように考えられます。溶融メタルの主成分は鉄ですが、銅やリンを数%含み、融点が極めて低いために、わずかな隙間にもどんどん差し込み、耐火物の浸食が進んだと。だが、それにしてもこれだけ大きく浸食されるには、長い時間を要したと思います。

図3 事故の状況(耐火物の浸食状況)

ただ、事業は赤字でした。作業には、安全面での当面できる限りの対策を盛り込みつつ、電力負荷を上げ、受託した焼却灰の処理量をどんどん増やし、処理原価の低減を図ることで、赤字はどんどん小さくなっていきました。

おわりに

結局、事故から2年半たっても事業を黒字にすることはできませんでしたが、焼却灰リサイクル事業の継続をすることができましたので、従業員の雇用を守るという最低限の責任は果たしたと考え、私は退職をすることができました。

生活習慣病をいくつも抱え体調は悪くなる一方でしたし、精神的にも限界に近かったのです。また、心の隅には“いつか、自分の判断の甘さで生じた大きな事故のけじめをつけなければ”という思いもありました。

それから10年余り、NHK朝の連続テレビ小説“あまちゃん”のロケ地でもあった田舎の生家に戻り、毎日をボーっと物思いにふけって送っています。

新聞などのニュースでは最終処分場の容量は、何年たっても3年分でした。そんなことに“なるほどなぁ”と納得したりして。

2020.10.

西前 年(にしまえ ねん)

1952年生まれ。
元鉄鋼メーカ技術者。退職後、田舎で畑仕事のかたわら、地域活動など。
スキー歴は40年、資格は1級。岩手県認定指導員として子供たちにスキーを教えています。

 

#夢へのバトン

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