金属のものづくりの代表選手の「大仏」。あんな巨大なものを、どうやって作ったのでしょう?どうやって表面全体に金を塗りつけたのでしょう?
大仏の金メッキ
大仏は、表面が金で覆われています。金メッキをしているといいます。
金メッキとは金属の表面に金を付着させることです。
どのような仕組みで、金を表面にくっつけたのでしょうか?
金メッキのしくみ
金メッキには、「金」と「水銀」を使います。
水銀は常温で液体ですから、固体から液体になる温度(融点)が低いということです。
一方、金は常温で固体です。つまり、融点は、水銀よりとても高いです。
金属元素名 | 元素記号 | 融点(℃) | 沸点(℃) |
---|---|---|---|
水銀 | Hg | -39 | 357 |
金 | Au | 1064 | 2857 |
金と水銀を混ぜるとアマルガムができます。
アマルガムとは水銀と他の金属の合金のことです。
このアマルガムを大仏の表面に塗り付けます。
その後に高温にします。
金より、水銀は沸点が低いので、高温にすると、水銀が先に、蒸発して気体になり、金が残ります。
このようにして、大仏の表面に金でメッキが施されたと言われています。
大仏の歴史
現在、奈良にある大仏は、いつの時代に作られたものか知っていますか?
実は、江戸時代に作られた、3代目のだいぶつなのです。
752年に作られた最初の大仏は、何度も焼かれてしまい、今の大仏は、腹部から膝、台座の大半、蓮弁(台座の花の装飾部分)の一部しか当時のものが残っていません。
今の、東大寺の大仏は、江戸時代に作られたもので、1709年、公慶上人(こうけいしょうにん)によって、大仏の修復が完了したものです。なんと、三代目なのです。
大仏の焼き討ち(1)平安時代末期
1181年に、平重衡(たいらの しげひら)が、父である平清盛の命を受け、「南都焼き討ち」をして、平城京を中心とする奈良一帯を焼き払いました。
この時に、奈良にあった有名なお寺「南都七大寺」を含むほとんどの仏教勢力は焼き討ちされてしまいました。
南都七大寺とは?
この焼き討ちされた南都を復興させたのが、平氏を倒した鎌倉幕府(1185-1333)です。
大仏の修復(1)外国から来た技術者
大仏を作ったのは、日本人のお坊さんの重源(ちょうげん)と、中国から招いた技術者、陳和卿(ちん わけい / ちん なけい)です。
東大寺の総責任者の重源は、47歳の時に中国にわたり、土木技術を学んだと言われています。すごいですね!
大仏の焼き討ち(2)戦国時代
その後、戦国時代に松永久秀(まつなが ひさひで)が南都で戦った時に、東大寺 大仏殿を焼いてしまいました。この時に、大仏の頭部などが焼失したといわれています。
大仏の修復(2)江戸時代
1709年、公慶上人(こうけいしょうにん)によって、大仏の修復が完了しました。
大仏に使われた金属
- 熟銅(じゅくどう)=製錬した銅、約499トン
- しろめ=不純物を含む錫(すず)、約8.5トン
- 錬金=鍍金(ときん)用の純金、約411キログラム
- 水銀=鍍金(ときん)用
- 木炭=溶解や鋳型の乾燥用、約7162石
(出典:大仏殿碑文)