Maker’s Clubみんなの工作博物館
技術者に会おう

夢へのバトン#2「エレクトロニクスを支える『実装技術』の世界」

この記事は約6分で読めます。
「夢へのバトン」シリーズ
技術者から、未来のメイカーへのメッセージをお届けするシリーズです。技術者の日常や情熱、思いを味わってください。

2020.05.06.
貫井 孝 (元 エレクトロニクスメーカー技術者)

学校は答えに如何に正確に早くたどり着くかで優劣を競う世界でもあるでしょう。

しかし、一歩、社会に出ると、問題は自分が作って、自分が考え、解いていくことになります。

それが社会に受け入れられた時、きっと、社会と自分とのつながりを感じ、多くはそれが生きがいに繋がるものです。

液晶テレビ、ノートPC の裏方技術を支えて

新入社員だからこそ、任された挑戦

もう、あの日から50年近くになる。

エレクトロニクスメーカーに就職して、半年が経った時、配属の発表に呼びだされた私は、「君には、半導体研究の分野を予定していたけど、その前に半年ほど別の仕事を頼むわな。」と告げられた。「はい」、と分からぬままに返事した新人に、続けて言葉が続いた。「それは、平面表示(いわゆる平面ディスプレイ)装置の開発や。でも表示部のところでなくて、周辺部や。」と。

更にあくる日、当時の技術開発責任者から断定的に熱っぽく、こうも言われた。「きっと時間が経てば、平面表示画面は実用レベルに出来上がる。でもなぁ、あの配線の束や数えきれない部品の山の周辺回路が表示部サイズにならないと絶対に世に出ない。しかし、ここのところは、地味だし、コンパクトになればなる程、表示部の陰に隠れるという宿命がある。誰もやったこともないし、やろうともしない。だから、固定観念のない新人がいいのや。」と。

それから現物を前に数日間、この言葉の意味の深さを徐々に知ることとなる。

ディスプレイって何だろう?

さて、話を進める前に、ちょいと戻って、「平面表示(ディスプレイ)装置」なるものを、簡単に記してみよう。平面表示装置には、ELや液晶を活用したものが、知られている。その代表格の液晶表示(液晶ディスプレイ)装置とは、液晶が外部から加える電場、磁場などに応じて,その分子軸方向を変えるという光学的性質を、表示部の各画素を透過する光量の制御に応用し、画や文字を表示するものである。そのため、多数の透明電極の付いたガラス板2枚で液晶を挟んだ平面構造となっている。

研究開発段階では、電極数もかなり間引き、ピンを立てて電気信号や電源を供給して表示部の評価は進められていたが、実用化に際してのこれらの周辺回路の行き着くところの大きな課題は、「髪の毛くらいの間隔で並ぶ千本を超えるガラス上のその透明微細電極と別の半導体の微細電極の間をどうやって繋ぐか」であることは容易に想像できるものであった。

誰も取り組んだことがないことへの挑戦

子供の頃から模型飛行機、ケーブルカー、電車づくりなどに親しんできただけあって細かなハンダ付けは得意であった。まずはその得意技で臨んだ。でも、ハンダは、透明電極(酸化インジウムスズ;導電体)の上を濡れるどころか、つるんと滑って落ちてしまった。そうか、こういうことか、コトは、更に深刻であることが実体験を経ると、更に鮮明になった。

「多数並ぶ髪の毛サイズの電極をハンダ付け以外の方法で、コンパクトに短時間に接続せよ」ということが架せられた課題だと。

不勉強でもあったためか、過去に学んだ知識の中にその解決につながるものは何一つなく、何人もの技術者に聞いて回ったり、図書館へも通った。残念ながら、答えはもちろん、それにヒントを与えてくれるものにも出会えなかった。「君、不運な仕事にはまったなぁーーーみんな避けたんやけど」と(慰めてくれる?)先輩もいた。

でも何故か、落ち込むことはなかった。入社して数週間、販売実習で何回もヘロヘロになりながら運んだ20インチ超のブラウン管テレビの重量とサイズは、「壁に掛けられた40-50インチの平面ディスプレイに映し出される画像」への妄想と夢を大いに後押ししてくれたものだ。

悶々と時が過ぎる中、ある時、別件でテスト室に出向いた時、人が黒いゴムのようなシートをいとも簡単に2つの電極の間に挟み、クリップで留めて導通を取ってテストしていた。担当者は、導電粉を練り込んだゴムだと呟いた。ふんわりと思いが巡った—電気的に接続するということは、メタラジカル(金属学的)な反応がなくてもいいのだ、と。—しかし、当時は、エレクトロニクスの世界ではハンダ付けは基本中の基本、米国・IBM、ベル研という世界の名だたる技術者がハンダ材料や接合のサイエンスを多数の論文に記していた。しかし、きっと若気の至りだったのだろう。両面テープに金属粉を混入したイメージのものを電極の間に挟み込んで押さえつけ、固まるようなものはないものかと夢に見つつ、電子材料メーカーと一緒に真面目に取り組み始めた。金属粒子の接触の連続を樹脂で固めるという分かりやすいものだが、当然ながら信頼性はメタラジカル(金属学的)な反応に劣る、更に垂直方向にだけ導電性を持たせ、横方向の髪の毛一本分もない隙間は絶縁状態にする—苦難続きの日々を送ることになったのは言うまでもない。しかし、「強い思い」に覚悟という根が生えた時、一人、二人と仲間がやってきたのだ。分散粒子の形状・サイズ、分散密度、樹脂材質、保管などの難題も異分野の多くの人たちの知恵の重なりと執念により幸運にも一つ一つ解決され、やがてノートPCやテレビの周辺回路のコンパクト化へと実用化され、世に出て行くこととなる。市場に出てからもまさかの出来事に日々鍛えられつつ、技術は進化していった。

そして、今も市場の商品の原型は変わっていない。PCやテレビの額縁の裏側には、非メタラジカル(非金属学的)微細接続は、しっかりと表示装置を支えている。

「現場から学び取る力」の大切さ

気がつけば、「半年だけ」と言われて取り組んだ仕事が二十数年間、『エレクトロ二クス実装技術』という今までなかった新たな技術分野に身を置くことになったが、その後も心していることがある。

現場、現物から学びとる力、即ちそこからの課題抽出力(何が課題かを見抜く力)、仮説立案力、解決実行力は、様々な日常活動、社会活動、ビジネス活動において、備えておくべき大切な要素ーーーだと。

そして、この過程を完遂するためには、忘れてはならないことがある。一人の蓄積された知識だけでは賄えなくとも、分野の違う多様な人々との会話、知恵の重ね合わせ、新たな知への興味、加えて自ら考え続ける執念がやがて、まさかの出会いや気づきを触発し、仮説立案や解決実行にまで導いてくれることになるであろうことを。

学校での正解探しとは違う、社会での課題解決のやりがい

少し言い方を変えてみよう。

学校では、ある問題が出され、(既に答えの有る世界で、)その答えに如何に正確に早くたどり着くか、優劣を競う世界でもあるでしょう。しかし、一歩、社会に出ると、問題は自分が作って(課題の抽出)、仮説を立てながら(仮説立案)自分が解いて(解決実行)、それが社会に受け入れられた時、きっと、社会と自分とのつながりを感じ、多くはそれが生きがいに繋がるものです。

つまり、社会現象や現場現物をしっかり見つめる中で、ちょっとした気付きが課題を想起させ、その課題解決がふんわりとした「夢」になり、自分で考え続けるうちにその思いが一段と熱を帯びると周りを巻き込み、新たな知恵を呼び、仮説から解決に到るまで、想定を超えた結果にまで行き着くことさえあるとーーー今、改めてそう思うのです。

(了)

 貫井 孝 氏。
1973年、エレクトロニクスメーカーへ入社。電子回路を軽薄短小化できるエレクトロニクス実装技術を実用化。プラズマクラスターイオン空気清浄機など健康家電の開発・商品化などを統括。
常務執行役員歴任後、2013年退任。Office NU 開所活動中。
現在、京都大学デザイン学リーディング大学院特命教授。
高校・大学を通して、そして今でも、ハンドボールに熱中。

#夢へのバトン

タイトルとURLをコピーしました